世界の片隅で生きています

社会不適合者の生きる道

おばけよりもこわいもの

人生の課題から目を背けている自覚はある。

最優先事項として、それに取り組まなければならないのに、ひたすら見ないようにしている。

いつかは必ず向き合わざるを得ない時がやってくるとわかっているのに、出来るだけ先延ばしにしたいと切望している。

 

朝、目が覚めて、それが頭の片隅をよぎらない日はない。

やらなければいけないのに、とてつもなくやりたくない。

やりたくないのには、やりたくない理由がある。

例えばそれを手に入れれば、収入は確保できるが、それと同時に今の安心安全な生活を手放すことにもなる。

そんな事を考えていると、ますます布団から出るのが億劫になる。

しばし現実逃避をするために、意識をYouTubeやインスタグラムへと集中させる。

それらを惰性で見続けるのにも飽きてきた頃、やっとベッドから抜け出すことができる。

 

生きる為には、やりたくない事も我慢してやり続けなければいけないのだろうか。

お金を得るためには、そりの合わない人達とも我慢して付き合っていくしかないのだろうか。

 

私は今まで、お金よりも安楽を選んできた。

だから履歴書はすでに汚れている。

完全なる社会不適合者だ。

私には身分相応の生き方を身に付ける必要があるのだか、それはまだ見つかりそうにない。

 

どうでもいいけど、どうでもよくない

退職してから、もうすぐ4ヶ月が経とうとしている。

正直言って、私は非常に幸せな生活を送っている。

ただ1つ、両親からの無言の圧力(時には直接苦言を呈される)を除いては

 

私は「極めて欲望の少ない人間だ。」

と言い切っても差し障りがないと思っている。

欲しい物はこれといって思い当たらないし、立身出世なんてもってのほかだ。

そもそも自分の能力については、今までの人生経験を通して、痛いくらいに良くわかっている。

だから、自分に対してはもちろんのこと、他人に対しても、ほとんど期待はしていない。

他人に対して、過度な期待をするのは傲慢ではないだろうかとさえ思う。

 

私は転職活動のやる気もモチベーションも持ち合わせていない。

そんなこと言ったって、いつかはまた働かなければいけないことはわかっている。

先延ばしにしているだけだ。

でも、やりたくないことを無理に始めたとしても上手くいかなかったり、続かなかったりすることが多い。

そんな時、「せめて感情や思考を一時的にでもオフにできれば、少しは生きやすくなるものかなぁ。」なんて考えたりもする。

まずはあまりストレスなく始められることから手をつけるのがいいかもしれない。

 

気が付けば自問自答のようになってしまったけれど、言語化すると意外と頭の中が整理される。

少なくとも今日はブログの更新でアウトプットができたことに自己満足。

#無職#ニート

 

中国企業でチャンスを掴もう

私は現在、日本にある中国企業で働いています。

日本人は私を含めて2名のみ、社長も上司も同僚も皆中国大陸か台湾出身です。

会社に一歩足を踏み入れると、そこは中国語が飛び交っていて、まさに中国にいるかのような気分を味わえます。

今回は、中国語を使って働いてみたいという方のために、私の経験を共有したいと思います。

少しでも皆様のお役に立てたら幸いです。

 

中国語ビジネスレベルって?

中国語をキーワードに求人検索をしていると、必ずと言っていいほど目にするのが、’’中国語ビジネスレベル’’を必須条件に掲げている求人です。

でも正直、’’中国語ビジネスレベル’’って言われても、抽象的過ぎて全然ピンと来ないですよね。

例えば、HSK〇級〇点以上や中国語検定〇級以上など、具体的に明記されていれば、自分が応募条件をクリアできているのか簡単に判断できます。

しかし、実際には上記のような抽象的かつ主観的判断に委ねられるような求人が多く、

求人に応募すること自体を尻込みされてしまう方も多いのではないかと思います。

結局のところ、ビジネスレベルというのは、中国人のクライアントと中国語で対等に交渉ができるレベルではないかと思います。

相手の要求を正確に理解した上で、それに対するこちらの意見や要求を相手にしっかりと伝えることができる。

日本語であったとしても決して簡単ではないことを、中国語で行うというのは至難の業だと思うのは私だけでしょうか…。

 

中国企業が狙い目かも

自分の中国語がビジネスシーンで通用するとは思っていなかった私は、そのような求人を応募対象から外していました。

しかし、諦めずに求人検索をしていると、数は多くないですが、日常会話程度の中国語でもOKという求人もちらほら見つかりました。

気になった求人は手あたり次第応募してみましたが、書類選考の時点で落とされてしまい、面接すらなかなかたどり着けない状況でした。

当時の私は、中国への留学経験とHSK6級208点というスコアが大きな武器になると少なからず過信していたので、完全に出鼻をくじかれました。

そんな中、巡り合ったのが今の会社の求人で、幸いなことに即日採用してもらえました。

今回の転職活動を通して感じたのは、もしかしたら日本企業よりも中国企業の方が採用してくれる可能性が高いかもしれないということです。

なぜなら中国語ができる日本人は、中国企業では重宝されるからです。

またこれは私の個人的な印象ですが、中国企業は日本企業のように保守的ではなく、何事もスピーディーに決断していく気がします。

このような理由から、たとえ職歴や中国語に自信がない方であっても、やる気さえあればチャンスを与えてもらえる可能性はあると思います。

 

結局1番大事なことは、思うように進まなくても焦らないことです。(←自分にも言い聞かせたい。)

そうすれば、半ば諦めかけている頃にパッと決まったりするものです。

皆さまがいつの日か、ご縁のある会社に巡り合えると信じて。

束の間の自由を噛み締めて

「今週こそは休む。」と心に決めた土曜日。

朝方目が覚めて、あと何時間寝れるのか逆算する必要もない休日の朝。

こういう瞬間に小さな幸せを感じる。

それと同時に、この幸せも長くは続かない一時的なものだと思い知らされて、ちょっと憂鬱にもなる。

 

またまた愚痴っぽくなってしまった。

せっかくの休みなのだから、一時的にではあっても、仕事のことを考えるのはやめよう。

 

休みの日はなんと言っても、自分の好きなように過ごせるのがいい。

朝は寝たいだけ寝て、朝ご飯(もはやブランチ?)YouTubeでも観ながら食べたいものを食べる。

天気が良ければ、気分転換にぶらぶらと散歩に出かける。

ワインが飲みたければ、昼間から飲めるし、眠くなったらお昼寝もできる。

 

今日もベッドに横になりながら本を読んでいたら、案の定眠くなってきたので、躊躇なくそのまま眠りの世界にドロップアウトした。

あのウトウトとした、現実と夢の世界を行き来する状態はどうしてあんなに心地よいのだろう。

 

結局、何をしようがしまいが、全ては私の責任のもとにおける自由なのだ。

何かをしたい時にそれができて、したくないことはしなくていいという状況に置かれた時、私は初めて本当の自由を感じられる気がする。

人間は本来そうやって生きてきたはずなのに、今は生きるためのお金を得るために色々なことを犠牲にしてる。

 

さて、今日は中秋の名月です。

まんまるのお月様を眺めながら、月餅でも食べますか。

もちろん、大好きなワインも一緒にね。

私が中国語を学び続ける理由

「なぜ中国語を学ぶのか?」

その理由は人によって様々だと思います。

自主的に中国語を学んでいる方もいれば、受動的に学ばされているという感覚の方もいるかもしれません。

しかし、たとえどのような理由で学ぶにしても、一番大事なのはその目的を自分の中で明確にし続けることだと思います。

 

「自分は何のために、中国語を学んでいるのか?」

 

この「なんのため」という目的さえしっかりと意識できていれば、中国語をより効率的に習得することができますし、また中国語学習のモチベーションも保ちやすくなると思います。

今回は、“自称中国語マニア”の私が中国語を学び続ける理由を書いていきたいと思います。

 

私が中国語を学び続ける理由

中国語のことわざに“一方水土养一方人”(環境や地域が人を作る。地域の違いによってその土地ならではの人ができる)というものがあります。

私は今まで、北京、上海、ウルムチに行ったことがありますが、まさにこのことわざ通りで、一括りに中国と言っても地域によって様々な違いがありました。

これはやはり、自分自身が身を持って体験して初めてわかったことだと思います。

だから私は今後、中国の色々な地域に行って、その土地での生活を体験してみたいと思っています。

まずは、留学中の荷物をずっと置かせてもらっている上海在住の友人に会いに上海へ、その次は15年前初めての海外旅行で訪れた北京へ、その次はハロートークで知り合った友人が住んでいる深圳(シンセン)へ行こうと思っています。

その後は、彼氏の実家がある新疆や中国随一の美食の街四川へ行こうと目論んでいます。

主要都市を制覇した後は、2線都市や3線都市に目を向けていきたいと思っています。

 

前置きが長くなりましたが、私は今、自分が心からしたいと思っていることを実現させるために中国語を学んでいます。

今はまだその時には適していませんが、このコロナウイルスが終息したら、私はすぐにでもこの計画を実行に移すつもりです。

その時はまた皆さんに、このブログを通して自分の見聞きしたことや感じたことをお伝えできればと思っています。